今、見直すべきDXの重要性 ~先の見えない時代だからこそ、DXを徹底すべき
経産省が警鐘を鳴らした2025年の崖が目前に迫る中、IT関連の最近の話題は完全にAIになってしまいました。「DXは古い。これからはAIの時代だ。」と言わんばかりですが、本当にそれで良いのでしょうか?
定義が曖昧で、何から手を付けたら良いか、何をもって成果としたら良いかがわかりにくいDXに比べ、ツールとしての効果が見えやすいAI/生成AIは企業にとっても取り組みやすいという側面はあるでしょう。また、既存のビジネスプロセスを一度壊して再構築しなければならないDXに比べ、これまで無かったまったく新しいツールである生成AIの導入の方が、社内を説得しやすいのかも知れません。しかし、そこには大きな落とし穴があるのかも知れないのです。
しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いのAI/生成AIですが、一方で懸念や不確実性も孕んでいます。よく言われるのが、学習データに含まれる知財権やプライバシー、あるいは著作権侵害ですが、もっと根本的なところにも懸念があります。それは、「生成AIが本当に究極のAIなのか?」という点です。
コンピュータ上での人工知能研究の始まりは1956年のダートマス会議というのが通説ですから、そろそろ70年になろうとしていますが、それから何度も期待が盛り上がってはそれを裏切る、という歴史が続いてきました。現在は第3次AIブーム(生成AIを第4次とする見方もあります)の真っ只中で、その始まりは2012年にカナダ・トロント大学のヒントン教授らが深層学習を使って画像認識の精度を飛躍的に高めたことであるとされています。つまり、第3次AIブームが始まってからまだ10年そこそこしか経っていないのです。そして、ChatGPTが発表されてからを考えると、まだ1年半しか経っていません。これだけの速度で普及したテクノロジーは過去に例がありませんし、プライバシーや著作権のように、急激に普及したことによる歪みも出てきています。つまり、今のAI/生成AIがこのままの形で将来も存続するのかどうかはわからないのです。どこかで壁に突き当たるかも知れませんし、まったく別のブレイクスルーが起きる可能性もあります。それによって今のAI/生成AIが過去のものになってしまう可能性は、否定できないということです。
ただ、だからといって、これだけ便利なツールを使わずにおくことは、従業員の生産性を落とし、企業の競争力を損なうことにもなりかねません。AI/生成AIへの取り組みは続けるべきですが、忘れてはならないのは、何か変化があったときに迅速かつ柔軟に新しいテクノロジーに対応できるよう準備を整えておくことではないでしょうか。大事なのは、新しいテクノロジーに飛びつくことでは無く、「どのような状況にも柔軟に対応できるようにしておくこと」なのです。しかしこの言葉、どこかで聞いた記憶がありませんか?
そうです。デジタルトランスフォーメーション(DX)の理念です。そもそも、経産省が警鐘を鳴らした「2025年の崖」とは何だったのでしょうか。それを振り返り、今一度DXの理念を理解し、その重要性を考えてみましょう。
2018年、民間企業の情報システムの刷新が遅れていることを懸念した経済産業省が、民間の経営に懸念を突きつける形で異例のレポートを出し、話題を集めました。日本企業の情報システムが陳腐化し、いつまでも根本的な見直しから目を背け続けると、2025年までに重大な経営リスクをもたらす可能性があるという内容です。そのリスクとは、情報システムの老朽化、デジタル競争力の低下(海外との格差)、セキュリティなどとされます。
経産省のレポートでは2025年の崖を回避するための対策と推奨されるアクションとして、レガシーシステムの刷新、デジタル人材の育成、ビジネスモデルの刷新、組織改革などを挙げています。そしてこれらは個別に行われるべきではなく、ひとつの大きなビジョンの元にすべてを同時に進めていくことが重要とされています。これらをまとめると「古くからの考えやシステムを捨て、デジタルありきの発想で業務プロセスや組織をゼロベースで見直し、変化に迅速に対応できる人材を育て、企業体質を根本から変革する」ということではないでしょうか。新しいテクノロジーを迅速に取り入れて生産性を上げるために、業務プロセスや組織を柔軟に変更できる体制や企業文化を育て、それを支えるITシステムは常時刷新を行えるように維持する、そして全社が一丸となってそれを目指す、ということです。これはITシステム的には、特定のテクノロジーが出てきた都度個別に対応するのではなく、どのようなテクノロジーにも対応できるようにしておく、ということでしょう。つまり、AIといえどもDXという大きな枠組みの中の一要素として考えなければならない、ということではないでしょうか。
2025年の崖レポート以降、DXの必要性を説く上で時代背景として引き合いに出されるようになった言葉が「VUCA」です。VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った造語で、元々は軍事用語ですが、物事の不確実性が高く、将来の予測が困難な状態を指します。DXは、VUCAの時代にあって企業が変化に対応していくために必要なことであり、それは生成AIの時代になっても変わらないどころか、生成AIがどう変化するかわからないためにVUCAに新しい(そしてさらに変化の激しい)不確定な要素が加わったということができるでしょう。
つまり、きちんとDXができている企業は生成AIに対応するための準備はできているということです。「生成AIにどう対応すべきか?」という議論は、DXが十分ではなかったことが背景にあると考えることもできます。未だに残るレガシーなシステムの刷新を後回しにして、AIへの対応を優先させるべきではありません。最新のアーキテクチャでシステムを刷新し、組織の柔軟性を高め、デジタル人材の育成が進んでいれば、今後生成AI以外の新技術が現われたとしても、慌てる必要はありません。そしてさらに重要な点は、DXの重要性は一度達成すれば終わりでは無く、常にアップデートを続ける終わりの無いプロセスであるということです。だからこそ、DXを文化として、プロセスとして、組織として、企業に定着させなければならないのです。
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定義が曖昧で、何から手を付けたら良いか、何をもって成果としたら良いかがわかりにくいDXに比べ、ツールとしての効果が見えやすいAI/生成AIは企業にとっても取り組みやすいという側面はあるでしょう。また、既存のビジネスプロセスを一度壊して再構築しなければならないDXに比べ、これまで無かったまったく新しいツールである生成AIの導入の方が、社内を説得しやすいのかも知れません。しかし、そこには大きな落とし穴があるのかも知れないのです。
不確実な未来
2023年に大ブレイクした生成AIは、2024年に入って各社から次々と新サービスが発表され、企業が採用する事例も増えています。そもそも日本人は新しもの好きですし、特にAIについてはマンガやアニメの影響もあって欧米に比べるとテクノロジーへのアレルギーが少ないため、親和性が高いとも言われています。これだけ話題になり、実際に使ってみて効果があることが実感できれば、その活用について考えるのはある意味当然とも言えます。しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いのAI/生成AIですが、一方で懸念や不確実性も孕んでいます。よく言われるのが、学習データに含まれる知財権やプライバシー、あるいは著作権侵害ですが、もっと根本的なところにも懸念があります。それは、「生成AIが本当に究極のAIなのか?」という点です。
コンピュータ上での人工知能研究の始まりは1956年のダートマス会議というのが通説ですから、そろそろ70年になろうとしていますが、それから何度も期待が盛り上がってはそれを裏切る、という歴史が続いてきました。現在は第3次AIブーム(生成AIを第4次とする見方もあります)の真っ只中で、その始まりは2012年にカナダ・トロント大学のヒントン教授らが深層学習を使って画像認識の精度を飛躍的に高めたことであるとされています。つまり、第3次AIブームが始まってからまだ10年そこそこしか経っていないのです。そして、ChatGPTが発表されてからを考えると、まだ1年半しか経っていません。これだけの速度で普及したテクノロジーは過去に例がありませんし、プライバシーや著作権のように、急激に普及したことによる歪みも出てきています。つまり、今のAI/生成AIがこのままの形で将来も存続するのかどうかはわからないのです。どこかで壁に突き当たるかも知れませんし、まったく別のブレイクスルーが起きる可能性もあります。それによって今のAI/生成AIが過去のものになってしまう可能性は、否定できないということです。
ただ、だからといって、これだけ便利なツールを使わずにおくことは、従業員の生産性を落とし、企業の競争力を損なうことにもなりかねません。AI/生成AIへの取り組みは続けるべきですが、忘れてはならないのは、何か変化があったときに迅速かつ柔軟に新しいテクノロジーに対応できるよう準備を整えておくことではないでしょうか。大事なのは、新しいテクノロジーに飛びつくことでは無く、「どのような状況にも柔軟に対応できるようにしておくこと」なのです。しかしこの言葉、どこかで聞いた記憶がありませんか?
色あせないDXの理念
そうです。デジタルトランスフォーメーション(DX)の理念です。そもそも、経産省が警鐘を鳴らした「2025年の崖」とは何だったのでしょうか。それを振り返り、今一度DXの理念を理解し、その重要性を考えてみましょう。
2018年、民間企業の情報システムの刷新が遅れていることを懸念した経済産業省が、民間の経営に懸念を突きつける形で異例のレポートを出し、話題を集めました。日本企業の情報システムが陳腐化し、いつまでも根本的な見直しから目を背け続けると、2025年までに重大な経営リスクをもたらす可能性があるという内容です。そのリスクとは、情報システムの老朽化、デジタル競争力の低下(海外との格差)、セキュリティなどとされます。
経産省のレポートでは2025年の崖を回避するための対策と推奨されるアクションとして、レガシーシステムの刷新、デジタル人材の育成、ビジネスモデルの刷新、組織改革などを挙げています。そしてこれらは個別に行われるべきではなく、ひとつの大きなビジョンの元にすべてを同時に進めていくことが重要とされています。これらをまとめると「古くからの考えやシステムを捨て、デジタルありきの発想で業務プロセスや組織をゼロベースで見直し、変化に迅速に対応できる人材を育て、企業体質を根本から変革する」ということではないでしょうか。新しいテクノロジーを迅速に取り入れて生産性を上げるために、業務プロセスや組織を柔軟に変更できる体制や企業文化を育て、それを支えるITシステムは常時刷新を行えるように維持する、そして全社が一丸となってそれを目指す、ということです。これはITシステム的には、特定のテクノロジーが出てきた都度個別に対応するのではなく、どのようなテクノロジーにも対応できるようにしておく、ということでしょう。つまり、AIといえどもDXという大きな枠組みの中の一要素として考えなければならない、ということではないでしょうか。
VUCAの時代を生きる
2025年の崖レポート以降、DXの必要性を説く上で時代背景として引き合いに出されるようになった言葉が「VUCA」です。VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った造語で、元々は軍事用語ですが、物事の不確実性が高く、将来の予測が困難な状態を指します。DXは、VUCAの時代にあって企業が変化に対応していくために必要なことであり、それは生成AIの時代になっても変わらないどころか、生成AIがどう変化するかわからないためにVUCAに新しい(そしてさらに変化の激しい)不確定な要素が加わったということができるでしょう。
変わること、変わり続けること
こうして振り返ってみると、誰もが予想しなかった生成AIの登場と普及は、まさにVUCAを象徴するものであり、それに対応するために必要なのは結局DXが目指した「想定外の事態への柔軟で迅速な対応」であり、そのための組織作りであり、デジタル人材の育成であることがわかります。つまり、きちんとDXができている企業は生成AIに対応するための準備はできているということです。「生成AIにどう対応すべきか?」という議論は、DXが十分ではなかったことが背景にあると考えることもできます。未だに残るレガシーなシステムの刷新を後回しにして、AIへの対応を優先させるべきではありません。最新のアーキテクチャでシステムを刷新し、組織の柔軟性を高め、デジタル人材の育成が進んでいれば、今後生成AI以外の新技術が現われたとしても、慌てる必要はありません。そしてさらに重要な点は、DXの重要性は一度達成すれば終わりでは無く、常にアップデートを続ける終わりの無いプロセスであるということです。だからこそ、DXを文化として、プロセスとして、組織として、企業に定着させなければならないのです。
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